心と向き合って人生が変わった!助産師の望月里恵さんが見つけたものとは

望月理恵さんサムネイル

今回は開業助産師としてリエ助産院や一般社団法人U-me(ウーミー)の代表を務める望月里恵さんにインタビューさせていただきました。

コロナ禍で人との繋がりや移動が制限されている近年、日本の“生み育て”環境をアップデートさせることをミッションとし、オンラインや動画配信、リアルな場の提供など精力的にご活躍されています。
全ては、子どもの生み育てに関わる人々の『生みやすさ・育てやすさ・生きやすさ』のために。

そう考える望月さんは、過去に“生きにくさ”を感じている人間の1人でした。「もう人生終わりだ」と思った瞬間からが、本当の人生の始まりとなった望月さんにこれまでの経験や今の想いについてインタビューしました。

「自分が好きになれない」「“自分”として生きることに苦しさを感じている」といった人にぜひ読んでいただきたい記事です。

 

レールの中から選んだアート建築の道

講演中の望月里恵

ー学生時代に目指していた夢はなんですか?

望月里恵さん:私は高校卒業のあと、建築士を目指して美術の分野から建築について学びました。なぜ建築だったのかというと、小さい頃からの母の教えが強く影響しています。

母は我が子に対して “自立した女性になってほしい” という想いが強く、将来は “医師・弁護士・建築士”のいずれかに就くよう勧めていました。私自身、その三職種の中から選ぶことに疑問や抵抗感は持っていなかったので、「血を見るのは苦手だし、弁護士である叔父はいつも大変そうだし」という理由で、残された建築士を目指しました。

また、ものを作ったりすることが単純に好きで、進路について調べるうちに美術大学から建築士を目指す道もあると知り、美術大学に進学することを決めました。

 

ー美大を卒業してから、どんな過ごし方をされたのですか?

望月里恵さん:京都にある美術大学に進学し、無事に卒業もできましたが、卒業後すぐには就職しませんでした。デザイナーのアルバイトで生活はできていましたから、就職をしなければいけないという焦りなどは無かったんです。

就職せずに半年ほど過ぎた頃、環境を変えようと香川県の直島に短期移住をしました。直島にいる間は、美術館で短時間勤務の準職員の仕事に就きました。週3日働いて、残りの4日間は浜辺で読書をするといった日々です(笑)

 

ー環境を変えようと思ったのは、なぜですか?

望月里恵さん:私は昔から色々考え込んでしまうタイプで、人生に対する“生きにくさ”を感じて過ごしてきたんです。自分の生き方に対し、「こうしていかなければならない」と縛り付けてしまう考えを強く持っていました。だからこそ社会に溶け込めていないように感じて、人間関係もすごく難しいものに感じていたんです。そんな自分が嫌だから、環境を変えようと思ったんです。

 

ずっと “生きにくさ” を感じながら生きていた

ー短期移住をした後はどうなりましたか?

望月里恵さん:4ヶ月ほどの移住生活から戻った後、そんなフラフラしている私に当時お付き合いしていた彼氏が愛想をつかせてしまい、振られてしまったんです。当時の私はものすごく落ち込んでしまい、ご飯も食べられないほど毎日泣いて、無気力状態になってしまいました。ほとんど鬱病にかかっていたのだと思います。

 

ーどうやってその状況を脱したのですか?

望月里恵さん:ちょうど24歳の誕生日に、父親と大喧嘩をしたんです。その時、「ああ、もう人生終わったわ」「死ぬか、生き方を本気で変えて生き続けるか」と思ったんです。そして「せっかく生まれてきたんだし、ここで死ぬのはもったいない」「とりあえず本気で生き方を変えてみよう」と思いました。

そこで、まずはインターネットでカウンセラーを見つけて、生きにくさを抱えている自分の心と向き合おうとしました。そしてカウンセリングに通ううちに、みるみる変わっていく自分がいて、心理学の面白さにのめり込んでいきました。物事の捉え方や人間関係も変化していき、心と向き合うことで人間はこうも変われるのかと驚きました。

この頃は、図書館に行って心理学コーナーの棚にある参考書を端から端まで読んで勉強していました。自分自身の精神分析ノートも作成していて、心のことや夢で見たことなどを分析するんです。そうして心と向き合っていくうちに、私の心に大きな影響を与えていた“親子関係”にも向き合うことができました。
これまでに感じていた“生きにくさ”には、幼少期からの親子関係が大きく関係していたんです。だから親との関係に向き合い、愛情や気持ちを言葉で伝えて、自分自身を整理していきました。

 

心と向き合って再び進みはじめる

お花とハサミ

ーそこからファーストキャリアに就くまでには、どんな経緯を辿ったのですか?

望月里恵さん:自分の心と向き合えるようになり、社会復帰の第一歩として建築設計事務所で働きました。しかし、建築の世界に魅力を感じることができず、元々親から言われていた進路のレールからも既に大きく外れていたので、「もう自分の好きな道を選ぼう」と思い、半年ほどで退職しました。

 

ーその後、助産師を目指されたのですか?

望月里恵さん:いいえ、まだなんです(笑)
当時から「心・身体」のことには強い関心を持っていました。しかし、無資格の私では仕事につなげることはできず、求職中にたまたま見つけた大手印刷会社の派遣社員の募集に応募しました。その選考中に、採用担当者が私の経歴やポートフォリオにご興味を示してくださり、アートディレクターの役職を与えていただくことになりました。

 

ーアートディレクター時代はどのように過ごされていたのですか?

望月里恵さん:アートディレクター時代は2年間ほどでしたが、めちゃくちゃ忙しかったです。もちろん閑散期もあるのですが、繁忙期の残業時間は今の時代では考えられないくらいでした。それでも、プライベートでは「心・身体」についての勉強を続けていました。

「心・身体」について学んでいるからこそ、日々仕事に追われ、仕事のために心と身体をただただ消費していく人生に疑問を抱き続けていて。そんな頃に、リーマンショックが起きたんです。周囲の社員たちがどんどん退職させられていくなかで、自分の中の疑問を抑えながら頑張って働いても最終的には組織次第で人生が変わってしまうのだと感じました。

そして、たまたま見つけた、助産師さんの活動を紹介するwebメディアを読んで「助産師に挑戦してみよう」と思い立ったんです。

 

30代で助産師への挑戦!そして妊娠出産を経て、、

リエ助産院のホームページ

ーようやく助産師にたどり着いたんですね!

望月里恵さん:はい。でも助産師にもストレートになれた訳ではありません。
幸い、退職後すぐに看護大学校の試験には合格することができました。入学し、看護師を取得でき、助産学専攻科に進学しました。しかし、そこで彼氏との子どもを妊娠し、あまりにもつわりがキツくて退学することになってしまいました。そして、出産した年に別の助産師学校に入学して、ようやく助産師になることができました。

 

ーここまで本当にたくさんの紆余曲折がありましたね。

望月里恵さん:そうですね(笑)
助産師になってからは、分娩件数の多い病院の産科で働きました。

 

ーなぜ独立しようと考えたのですか?

望月里恵さん:母から「独立した女性になりなさい」といって育てられたので、元々独立志向が強かったような気がします。助産師になった時点で、「いつかは独立したい」と思っていました。しかし直接的な要因は、2人目の子どもを出産して復帰したことですかね。子ども2人を育てながら助産師として医療の現場で働くことはとてもハードでした。それに加えて、産後は頭の回転も鈍くなります。そんなオーバーワークの中で、仕事のミスを連発してしまいました。

幸い大きな事態には至りませんでしたが、病院という命を預かる現場では小さなミス一つも許されません。それなのにミスを連発してしまった自分に対して、もう臨床(医療現場)から離れた方がいいと考えました。

 

ー独立してからはどんな活動をされたのですか?

望月里恵さん:助産師が臨床を離れた場合、乳児全戸訪問という新生児のいるご自宅を訪問する行政事業に携わる道が一般的です。私も、そういった仕事をしつつ動画配信やオンライン、助産院を作って、臨床(医療現場)時代に感じていた問題などにアプローチしていきたいと思ったんです。

そして、2021年の10月に、新たな活動として、大阪市のひろば型子育て支援施設『U-me-cafe(ウーミーカフェ)』を開設しました。

 

やっと見つけた人生のテーマ

u-me-cafe

ーU-me-cafeを開設しようと思ったきっかけを教えてください。

望月里恵さん:このU-me-cafeを開設した理由は、助産師として産後の母子自宅訪問で感じていた問題を解消したいと思ったからです。新生児の自宅を訪問し、お母さんに話を伺っていると「育児のちょっとしたことを相談できる人がいない」「コロナで里帰りできず、初めての育児がとても不安」などの声を多く耳にしていました。なので、当時助産師として、オンラインの育児相談会なども開催していたんです。しかし、それでは救いきれないものがあるという現実も、同時に強く感じました。

そんな中で、大阪市地域子育て支援拠点事業が始まり、公共事業として人と人との繋がりの場を作る機会を得たんです。そうしてできたのが「U-me-cafe」です。

 

U-me-cafeとはどんなカフェなのですか?

u-me-cafe

望月里恵さん:子育て中の親子に気軽に集ってもらい、交流ができる場所です。1日5時間、週5日ほど開設していて、2人以上のスタッフが常についています。育児のちょっとした疑問や、誰かに聞いてほしい悩みなどを、そこに集う親同士だったりスタッフに相談することができる場になっています。他にも定期的に育児の気分転換になるような教室やイベントを開催しています。

 

ーコロナ禍で、繋がりの場が少なくなっているのは課題ですよね。

望月里恵さん:そうですね。親同士が交流する機会が減り、孤独な育児をしている家庭はまだまだたくさんあると思います。産後や育児期は、1人では絶対に乗り切れないんです。ちょっと息抜きできる場所や、体験や知識を共有できる場として、コミュニティづくりの場として、ママさんだけじゃなくパパさんにも使ってもらえたらと思っています。

 

ー望月さんが展開している事業のビジョンを教えてください。

望月里恵さん:心理学などを通して、幼少期の親子関係がその後の精神面に与える影響の重要性を学びました。それは自分の経験からも強く実感していて、“親が幸せであれば子どもも幸せにできる”と感じています。

私が代表を務める法人や助産院では、『生みやすく育てやすく生きやすく』という理念を掲げています。特に『生きやすく』は一番重要だと考えていて、『生みやすく』『育てやすく』のベースになる部分です。“産み育て”に関わる全ての人が生きやすくなるような事業をこれからも展開していきたいと考えています。

 

***

 

今回は、開業助産師である望月里恵さんにお話を伺いました。
自身の心と向き合うことで、心に絡みつく鎖のような“親子関係”という問題を取り除くことができた望月さん。そして今、“親子”を優しく包み込むことで、そこに関わる多くの人々の生きやすさを創出しています。

“親子”は私の人生で最も大きなテーマなんだと思うそう語る望月さんの笑顔は、とても輝いていて愛が溢れていました。

shabellbaseでは今後も多種多様なキャリアを築く方々を紹介しています。
あなたの夢探しやライフプランに役立つヒントを見つけてみてください。

 

望月里恵さん
もちづき りえ|経営者


1981年生まれ。大阪府出身。京都嵯峨芸術大学を修了し、美術学士(建築)取得後、大手印刷会社でアートディレクターを経験。リーマンショックを機に退職し、助産師を目指すことを決意。宝塚大学助産学専攻科を受験し、助産師免許を取得後、産科勤務を経て2020年にリエ助産院を開業。2021年には、一般社団法人U-meを設立し、大阪市の認定を受けた子育て支援施設U-me cafeを開設。現在は、『生みやすく育てやすく生きやすく』をさらに追究するために、世界的にスタンダードな科学的根拠に基づいたストレス教育プログラム・MBSR(マインドフルネスストレス低減法)の日本で初めての講師養成プログラムに参加中。2022年8月よりMBSR8週間プログラムを提供開始。次回は2023年9月に開催予定。

リエ助産院公式HP:https://riejosanin.com/
※2022年3月から、法人運営と講師資格取得に専念するため、リエ助産院の相談事業は休止中(2022年秋以降に再開予定)。
U-me-cafe公式HP:https://umisodate.com/
一般社団法人U-me公式HP:https://syncable.biz/associate/U-me/
マインドフルネスストレス低減法(MBSR)8週間プログラム体験会&説明会HP:https://peatix.com/event/3597629/

 

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