【地方起業家】在り方を模索し、根羽村に移住を決意したマギーさんに聞く「生きる楽しさ」とは

子どもと触れ合う移住をしたマギーさん

1つ前の記事では、マギーさんのキャリアを思う存分掘り下げさせていただきました。
今回は、マギーさんが移住を決意した『根羽村』の魅力をお伝えしていきます!

 

た、マギーさんの「人となり」をもっと知りたい方は、こちらの記事も是非チェックしてみてください!

関連記事

今回は、根羽村で一般社団法人ねばのもりを立ち上げ、地域に寄り添った活動を行っているマギーさんこと、杉山泰彦さんに取材を行いました!帰国子女として日本に帰ってきてから、根羽村に移住をするまでの決意や葛藤を赤裸々にお伺いしました。どんな[…]

マギーさんの家族写真

根羽村とは

長野県と愛知県との県境にある地域、『根羽村』。村の92%を森林が占めており、人口はわずか950人という小さな村です。
そんな根羽村のコンセプトは【NEVER FOREST(いまだかつてない森)

森と生きていくことを宣言し、根羽村が持つ最大の価値である森の魅力を伝え、活かし、発展させていく、そんな意味が込められているそうです。根羽村は現在も、過疎化の状況を打破し、持続可能な村づくりと森づくりを実現するために、様々な活動を通して関係人口を増やしています。

 

29歳で一般社団法人ねばのもりを立ち上げる

一般社団法人ねばのもりのHP画像

根羽村に移住をしようと決意をしたきっかけを教えてください。

マギーさん:きっかけは大きく3つあります。
1つ目は奈良県の東吉野村で、坂本大祐さんという方に出会ったことです。山奥で生き生きと自分のやりたいことをして、地域を盛り上げている大祐さんの姿をみて、本当の意味での『生きるを楽しむ人』を目の当たりにしました。そして「移住」という選択にとても魅力を感じたきっかけとなりました。

2つ目は地方創生をするにあたり、外からのプロデュースではその地域に住む人々を完全に理解することは不可能だと感じたからです。もっと地域の中に入り込み、ど真ん中で勝負をすることが大切だと気づきました。

そして3つ目は妻との話し合いの末、もっと暮らしを大事にし、時間の使い方に重点を置こうと決めたからです。スピード感ばかりを大事にするのではなく、一つ一つを大事に考えられるそんな生き方を実現したいと考え、『根羽村』に移住をする選択肢が頭に浮かびました。さまざまな地域をプロデュースするのではなく、まず根羽村から。自分たちがそこに暮らすことで僕自身が理想としているライフスタイルや、働き方に近づけると感じ、27歳の時に、夫婦での移住を決意しました。

 

ー移住をしてから、どのように地域に根ざしたプロデュースをされていったのでしょうか。

マギーさん:29歳の時に根羽村に法人(一般社団法人ねばのもり)を立ち上げました。地域づくりを進めていく中で、必然とこのような法人が必要になってきたんです。

何か新しいことを成すときとか、物事を進めるときに、それを形にしていく組織というのが重要になると思いますが、その役割を専門でできる人って当時の根羽村の中には居なかったんです。じゃあどうするかと言うと、村の人のいろんな力を借りながら、なんとか形にしていく必要がありますよね。いろんな人の持ってる小さな力を集めながら集結していくコーディネート組織が必要となり、法人の立ち上げに至りました。

当時の根羽村は、価値を生み出せるほどにまでの企画のクオリティ・PRができていないことが課題視されていたため、僕のメインの活動は地域の広報やPR周りの強化。その他にもブランディングを手掛けたり、古民家の宿を運営したり、地域ならではの仕事を立ち上げて活動をしています。さらに重要な役割は、根羽村に入って価値を見出すとともに、村の現状もしっかりと把握した上で、村の外にいる人と円滑に関われるようになるための窓口となることでしたね。

 

ー立ち上げまでや、立ち上げてから、最も大変だったことはなんでしたか?

マギーさん:WHEREでの活動を通して、拠点の立ち上げなどは取り組んだことが合ったので、立ち上げ自体にキツさはありませんでした。どちらかと言うとまずは地域の中で信頼関係を作っていくことが大変でしたね。

手段を得る難しさはもちろん、当時の根羽村は元気だったかと言うとそうでもなかったんです。諦めはじめていることや、否定的になってしまっている雰囲気がありました。そういう人たちと一緒に、新しいことを進めていくエネルギーは凄まじくて。今後新しい地域に移住したとして、同じことをやりたいかと言われるともう絶対やりたくないです(笑)

 

ー「NEVER FOREST いまだかつてない森」という、根羽村のコンセプトはマギーさんが考えられたのでしょうか。

マギーさん:これは根羽村をプロデュースするにあたり、WHEREとして最初に取り組んだ案件ですね。ホームページを改修した際に生まれたコンセプトになります。WHEREの想いというよりは、根羽村の人たちが考えていることはなんだろうと考え、村長にヒアリングをしながら出たアイデアなんです。

根羽村は森が9割を占める村なので、この森をどうにかしていかないとと思っていましたし、根羽村が存続していく上でチャレンジ精神を大切しているということも理解していたので、色んな要素を取り入れて、「NEVER FOREST いまだかつてない森」というコンセプトにたどり着きました。

 

ふるさとは、自分でつくる時代

近所の老人と話すマギーさん

移住の魅力を教えてください

マギーさん:移住をする目的にもよりますが、移住はライフステージの変化や、自分の理想とする生き方を実現できるチャンスだと思います。僕の場合はその地域で暮らしながら地域の方と発展を目指していけることが最大の魅力です。関わり方次第では第2、第3のふるさとを自分で作っていけます。

また、「空いている席がたくさんある」という点も魅力の1つなんじゃないかと思いますね。困りごとの量に対してそれを解決できる割合が少ないので、都会と比べると圧倒的に承認欲求を満たしやすい環境だと感じます。都会だと、困りごとの量に対して動く人が多いので。

「外の人」としてのサポートだけでは見えないリアリティや人の温かみを感じられますし、外から関われる人をもっと増やすきっかけにも繋がります。実際に村の課題を目の当たりにすることで、取り組まなければならない課題の見え方も変わってきます。本質的な関わりをしたい方には『移住』はとてもオススメです。一方で、「村社会」なので多様性は薄いのかなと感じます。郷に従うべき部分は都会よりもたくさんあるんじゃないかな。

 

ー移住を決断するにあたって、迷いはなかったのでしょうか。

マギーさん:迷いというよりは、段階をきちんと踏んだからこそ、今後悔なく移住ができているんだと思っています。僕は「移住」に興味を持ってから、実行するまで3年かかっているんです。当初は東吉野村に移住したいと思っていたのに、違う場所に移住をしているくらいですし。根羽村に住むと決めたのも、20回以上訪れてからです。さらに当時は仕事の関係上、他の地域も比較ができたので、移住をする際には解像度が7割くらいは見えていました。住んでみてのズレも無いです。

心理学的な話になりますが、人ってメリットがリスクの3倍見込めないと動けないんですよ。だから、段階を踏んでいくことで、リスクに対してのメリットを3倍見つけられたら、迷うことなく移住という選択ができるんじゃないかなと思います。

決断しきれない人は、移住に向いていないわけではないです。頭でちゃんと考えているからこそ、迷う。もっとたくさんその地域に足を運んで魅力を知って、リスクとメリットを天秤にかけてみたら良いと思います。

 

ー移住したいと考えている人は、どんなお仕事の選択肢があるのでしょうか。

マギーさん:今だと役場や林業などが盛り上がっていますね。他にも観光の分野で活躍している方もいらっしゃいます。そういう方の応募経路としては、観光施設や観光協会が多いです。それ以外の流入は逆にあまりなくて、稀に村の特性を生かしてなにか起業をしたいという方もいらっしゃいます。

 

ーコロナ禍で加速したリモートワークとして根羽村を訪れる方もいらっしゃいますか?

マギーさん:それはまだいないですね。ですが、そういう誘致は少しずつ始めようと思っています。現在僕が管理している場所も、ワーケーション拠点という名目で根羽村のみんなと一緒に作っているんです。

今後は誘致を少しずつ増やしたいとは思いつつも、本音を言うと、ワーケーションを純粋にするのであればここよりもっといい場所があるとも思っています。本当にこの村で生きたい!と思える人に来てほしいですね。

 

当たり前以外の選択肢を子どもに隠し持っていて欲しい

川で楽しそうに遊ぶ子どもたち

ー根羽村に住んでいる子どもたちに対して、「こんな大人になってほしい」「根羽村でこんな経験を積んで欲しい」という想いはありますか?

マギーさん:根羽村に住む人々は、「子どもは宝」だと言って、子どもをとても大切にしてくださるんです。例えば、子どもが生まれると村内で放送されます(笑)僕の子どもも、血縁関係のないおばあちゃんからお年玉を貰えたり、そんな温かい文化が根羽村にはあります。だからこそ、その温かさを存分に受けてのびのび育ってほしいです。

一方で、課題にも繋がる部分にはなりますが、キャリアの選択肢がまだ狭いので、早い段階でキャリア教育を推し進めていきたいと考えています。親が提示する世界がその子の世界になってしまうのが現実だからこそ、いろんな選択肢を知ることとか、いろんな生き方があるということを親や学校が教えていかなきゃいけないですし、その面白さを少しでも子どもの脳に残すことを大事にしていきたいですね。

最近の話になりますが、村に住む中学2年生の女の子がテレビが好きだから将来は芸能マネージャーになりたいと言っていたんです。そこで、僕の友人で芸能マネージャーをやっている方がいたので、ZOOMを繋いでその子と一緒に芸能マネージャーについてのお仕事を聞きました。こういう機会ってものすごく良いなと思って。芸能マネージャーとして働いている人なんて村には居ないですし、村でそんな夢を語ったら、「なれるわけがない!あなたは頭が良いんだから、もっとこう言う選択をして、良い大学に行きなさい」と言われてしまうからこそ、沢山の選択肢を子どもに与えていきたいですね。

当たり前以外の選択肢を、子どもが隠し持ってるといいなと思います。

 

ーマギーさんが根羽村に住み続けている理由を教えてください。

マギーさん:この土地にこだわりがあるかというと、別にそうでもないんです(笑)出る理由がないというのが一番の理由ですね。ゆくゆくは海外との2拠点生活や、いろんな地域を転々としてみたいなとも考えていますが、「出る理由がない」というのはとても恵まれていることだと思っています。自分がやりたい仕事を続ける時って、その仕事から愛されていないとできないですよね。そういう意味でも僕は根羽村から愛されているなと思えます。

根羽村のみなさんが僕たちを受け入れてくださったから今住んでいられているので、しっかり恩返ししていかなきゃなという思いはありますね。この村と一緒に成長していくことが、きっと自分の人生の中で成し遂げなきゃいけない役割のひとつなんだろうなと感じています。

 

***

今回はマギーさんに『根羽村』の魅力や移住という選択肢の可能性を語っていただきました!

移住という決断は大きいことのように感じますが、自分のライフスタイルややりたいことを照らし合わせた上での、意外と引っ越しと同じくらい気軽なものなのかなという印象を持ちました。

そして、「出る理由がない、というのはとても恵まれていることだ」と話すマギーさんからは真摯に根羽村と向き合ってきたからこその実績と信頼関係を築けているのだと感じました。

仕事を愛し、仕事に愛される。この記事を読んでいる方も、そんな生き方ができることを願っています。

 

杉山泰彦さん(マギーさん)
すぎやま やすひこ|地方起業家


1991年生まれ。小・中学生時代をアメリカ・シアトルで過ごした帰国子女。日本に戻ったあとは、ICUに進み、大学卒業後は東京のベンチャー企業、株式会社CRAZYと株式会社WHEREで約5年働く。そしてある時、人生を変える坂本大祐さんと出会う。「生きるを楽しむ」を追求し、現在は根羽村で一般社団法人ねばのもりを立ち上げ、地域に寄り添った活動を行っている。

一般社団法人ねばのもり:https://www.neba.green/
根羽村HP:http://nebamura.jp/

 

関連記事

人生って分岐点の連続ですよね。皆さんは何か決断を迫られた時、どのような軸で選んでいますか?私は割と決断力のある方ですが、それでも選択に悩む時や、1つを選んでしまったことで逆に道が狭まってしまったように感じてしまうことがありま[…]

関連記事

ベル自然に囲まれた暮らしには憧れるけれど、生活の拠点を完全に地方に移すのはハードルが高いとお悩みではありませんか?☆そんな悩みを抱える都会生活者の中で、急速に注目を集め始めているのが「デュアルライフ(二拠点生活)」です。[…]

デュアルライフとは?Tips_サムネイル

LINE@バナーシンプルブラックインタビュー記事用

   
子どもと触れ合う移住をしたマギーさん
最新情報をチェックしよう!
(function(c,l,a,r,i,t,y){ c[a]=c[a]||function(){(c[a].q=c[a].q||[]).push(arguments)}; t=l.createElement(r);t.async=1;t.src="https://www.clarity.ms/tag/"+i; y=l.getElementsByTagName(r)[0];y.parentNode.insertBefore(t,y); })(window, document, "clarity", "script", "duyrui97r7");