今回は『フィリピンで一番有名な日本人』と注目され、SNS総フォロワー数500万人を超えるソーシャルメディアクリエイターのFumiyaさんにインタビューさせていただきました。
フィリピンに留学したときや、YouTubeをはじめたときなど、これまで大きな挑戦をするたびに心配という名の批判や反対を受けてきたと語るFumiyaさん。
しかし、自身の考えと信念を曲げずに突き進んだ先に、夢の実現に辿り着くことができました。
その強い信念を探るべく、取材を通して当時のことを振り返ってもらいました。
また、記事後半では、夢を実現させた時に感じていたこと。これから成し遂げたい、新たな目標について起業家のFumiyaさんとしてお話を伺いました。
成し遂げたいことがあるけど行動できない人や、つまらない人生を変えたいと思っている人は、ぜひ記事で語られるFumiyaさんの人生観に浸ってみてください!
新しい一歩を踏み出すために大切なことは「準備」じゃない
ー帝国ホテルのベルボーイ時代に「海外でファッションブランドを立ち上げる」という目標を立てたそうですね。どうして全く違う世界への目標をそこまで明確に掲げることができたのでしょうか?
Fumiyaさん:僕は“洋服”にこだわっていたからその目標を立てたわけではありません。もちろん、自分の中で強く明確に掲げていた目標ではありました。しかし、ベルボーイ時代も語学留学した当初も、根底として強く抱いていたのは「何かの可能性を見つけたい」という想いでした。
ファッションブランドを立ち上げるという目標は、一歩踏み出すときの強い意志ではありましたが、全ての行動を縛り付けるものではありません。だから、「海外でファッションブランドを立ち上げる」ためにフィリピンへ語学留学をしたことは事実ですが、単純に新しい暮らしや知らない世界で、いろんな方向からのビジネスチャンスを見つけたいと思っていたんです。
ー実際に留学する際は、エージェントなどを頼らずに渡航したそうですが、語学学校などの手配はどのように行ったのですか。
Fumiyaさん:最初はエージェントを経由して留学しようとしていたんですが、たまたま職場にマニラへ留学経験のある同期がいて。その同期に話を伺うと、マニラに住むフィリピン人の叔父がいるということだったので、すぐにFacebookの連絡先を教えてもらいました。Facebookを通じて「留学したいから、家に泊めてほしい」とお願いしたところ、まさかの「OK」という返信が返ってきたんです!
それからすぐに荷物とパスポートを持ってフィリピンに飛び立ちました。語学学校の手配などは全くしていない状態です。確保できていたのは泊まらせてくれる家だけです(笑)
英語なんてほぼ全くと言っていいほど、読めない話せない状態だったので、1人でマニラの空港に着いてからは、もうありとあらゆることが大きな試練でした。同期の叔父さんがいるところまでは、Facebookで送ってもらった写真だけを頼りに街並みなどを照らし合わせて、何とか自力でたどり着きました。
そしてその日から約5ヶ月間、叔父さんの家に住まわせてもらいました。
異文化の世界には“ミラクル”がつきもの
ーそんな中で一番大変だったことは何ですか?
Fumiyaさん:「大変」とは少し違うかもしれませんが、その叔父さんとの関係が崩れてしまった時期があって、それは僕よりも叔父さんにとって大変なことだったかもしれません。
語学留学してすぐに、僕は家族や周囲の人たちへの生存報告としてYouTubeを始めたんです。フィリピンの生活で見たもの食べたもの、出会った人たちを自分と共に動画に納めていました。すると、その一つがフィリピン人の中で注目され、それを皮切りにチャンネル登録者数が増え始めたんです。その時に「語学学校で英語を習得した自分よりも、YouTubeを頑張ってフィリピンで一番有名な日本人YouTuberになった自分の方が価値がある」と考えました。そしてYouTubeを生活の中心に置くために語学学校を辞めたんです。
でも、部屋を貸してくれていた叔父さんには当然理解し難いことでした。
語学留学のためにフィリピンに来たのに、早々に学校を辞めて、日中は街を出歩くだけ、帰ってきたら携帯でずっとゲームしていると思われていました(笑)
もちろん、YouTubeで動画配信をやっていることは説明しましたが、ジェネレーションギャップもあり、そこにある可能性などは全く伝わりませんでした。
文句を言ってくる叔父さんに、僕も反抗的な態度をとったりしていて、家の中の空気は険悪でしたね。
ー世代も文化も言葉も違う中で、新しいことへの挑戦を理解してもらうのはすごく難しいですよね。
Fumiyaさん:そうですね。僕がリアリティー番組に出演して知名度が一気に上がると、ようやく叔父さんも僕のやろうとしていたことを理解してくれました。
後になって、2人で「あの時は悪かった」「僕こそ、ごめんね」なんて会話をしながらお酒を飲んだりして、やっと和解することができて、わだかまりがなくなりました。最終的には僕がフィリピンのテレビ番組に出演すると、「フィリピンでのFumiyaの父」みたいな紹介でゲスト出演してくれるほどになりました。今でも心配の連絡をくれたりして、僕のことを「息子」と呼んで可愛がってくれています。
あと、僕がYouTubeを始めた当初、叔父さんの家にはWiFiが通ってなかったんです。だから図々しくも、毎日のように「WiFiを繋いでほしい」とお願いしていたんです(笑)
実際、ネット環境がなければ家族とも連絡が取れません。だから毎日、うるさいくらいにお願いし続けていました。叔父さんは最初、「WiFiってなんだよ!?」みたいな反応だったんですが、あまりにも僕がうるさかったので、ある日突然WiFiを使わせてもらえるようご近所の家に交渉してきてくれました。それからは、近所の家からの弱くて微かなWiFi電波を使って、家族との連絡や動画配信をしていました。今の生活では5分の動画をアップするのに30秒くらいでしょうが、そのWiFi環境では24時間くらいかかってアップされたりしていました(笑)
そんな感じに、文化や世代が違う環境だからこそ生じる問題はありました。けど、そんな環境だからこそ、人の優しさとかミラクルな出来事にもたくさん遭遇できるんだと思うんです。
ー叔父さんだけにかかわらず、語学学校を辞めてYouTubeに注力しはじめた頃は、いろんな人からの反対意見や、厳しい視線があったそうですね。それに屈せず、行動し続けられた理由は何だったのでしょうか。
Fumiyaさん:やはり根本にあったのは「学校で英語力を習得した自分よりも、フィリピンで一番有名な日本人YouTuberになった自分の方が価値がある」という考えでしたね。
あと、確かにその頃は日本にいる知り合いなどから結構否定的なご意見をいただくことがありました。そしてその分だけ、自分の考えや想い描くビジョンを聞き入れてもらえないことの悔しさも痛感しました。でも、その悔しさが結果的に一つのエネルギーに変わっていたことは否めないと思います。
ーFumiyaさんの持つ、逆境や周囲の反対に押されないパワーはどこからきているのでしょうか。
Fumiyaさん:特別なことをしているつもりは全くありません。ただ、「経験していない人が言う警告は、僕には響かない」という考えは強く持っています。フィリピンへの留学時も、YouTubeを中心にした時も「辞めとけ」と警告をする人のほとんどは、それを経験していない人だったんです。だから、「心配してくれてありがとう」とは思いますが、自分の考えを変えるほどの重要意見ではないと思っています。
叶えた瞬間、夢を失った!?
ー「フィリピンで一番有名な日本人」となり、パンデミックの影響で帰国した後、日本でアパレルブランドを立ち上げて夢を実現させたFumiyaさん。ご本人はその頃、どんなことを感じていたのでしょうか。
Fumiyaさん:そうですね。実はあの頃、夢が叶った僕は目標を失っていたんです。僕は数年のうちにフィリピンでどんどん知名度が上がっていき、目まぐるしい日々を過ごしていました。そして帰国し、アパレルブランドを立ち上げて一息ついたところで、ずっと駆け抜けてきた僕自身が停滞してしまったんです。
動画は変わらず配信していましたし、面白いものを作ろうとは思っていました。でも、動画に映っていない生活自体は、もうただの引きこもり人間でした。
目標を失って、ずっと家にいるだけの日々に「自分って何なんだろう」とか色々考えたりしていましたね。周囲の同世代は、仕事も目標も生活の中で安定的に持っていて、毎日をしっかり歩んでいる。自分は一体、何者だったんだ。なんて思い至ることもありました。
ーそんな精神状態から、どうやって抜け出したのでしょうか。
Fumiyaさん:ある日、高校の同級生が家に遊びにきたんです。その時に「なんかFumiya最近おかしいよ」と言われたんです。その友人曰く「動画で見せてる笑顔も、本当のFumiyaの笑顔じゃない」とか何とか。
そう言われて、自分も思っていることを吐き出していくうちに、友人は「Fumiyaは1人で駆け抜けてきたから、これからはサポートし合える仲間が必要なんじゃないの?」と言って、僕自身がいま求めているものに気付かせてくれたんです。
確かに、僕は数年のうちに本当にたくさんの貴重な経験をさせてもらいました。でも振り返ると、いつも独りだった感覚に陥るんです。だから、これからは共に目標に向かっていく仲間が欲しいと思いました。
一緒に夢に向かって突き進んで、たとえ成功しなくてもその過程を共に楽しめるような、キツい時に「きつー!」と言い合える仲間が。
そして、そのアドバイスをくれた友人が、今ともにM.S.LABで働くユウマです。
※M.S.LABとは、2021年9月に創設されたFumiyaさんが代表を務める法人である。
1度きりの人生だから、精一杯“感謝”を生み続ける
ーM.S.LABはそうやって出来上がったんですね。
Fumiyaさん:そうです。ユウマと話してから考えがどんどん変わっていって、前に進み出すことができたんです。M.S.LABには、“Maraming Salamat Laboratory=感謝を生み続ける”と“Minsan lang ang buhay=人生一度きり”という意味が込められています。
これは、まず僕自身がユウマに対して「本当にありがとう」と思ったところから始まった会社という意味も秘められているんです。
それから、会社を始めるなら絶対に声をかけたい存在であったショウゴにすぐに連絡しました。「会社を始めるから、くる?」と誘ったら「やります!」と即答してくれました(笑)
ショウゴは僕の帝国ホテル時代の後輩なんです。ベルボーイの頃、僕はショウゴにだけ夢を打ち明けたことがあったんです。それから、ずっと僕にとって心許せる存在でした。この2人と会社を始めて、つくづく実感していることは「独りで食べる高級ステーキよりも、仲間と食べるマックだな」ということです。
※ユウマさん・ショウゴさんは、Fumiyaさんが代表を務めるM.S.LABの一員である。
ーいま、仲間も増えて新たに“カフェ経営”にチャレンジしているFumiyaさんですが、ご自身が想い描いている今後のビジョンについて教えてください
Fumiyaさん:僕は「フィリピンと日本の架け橋になりたい」と主張してきました。それは僕がフィリピンに行くことを反対されながらも、実際に飛び込んでみたらとても素敵な国だったと実感した経験があるからです。日本人の多くが抱くフィリピンに対するマイナスイメージを払拭したい。フィリピンの素晴らしさを日本の多くの人に知ってもらいたい。何より、僕にいろんなチャンスをくれたフィリピンに恩返しがしたいという想いがあるからです。
さらに、日本にはフィリピンに帰りたくてもコロナウイルスの影響で帰れない人たちがたくさんいます。その人たちに、祖国を思い出してもらえる場所を作りたいという思いもあります。
そして、この夢を僕1人ではなく仲間と実現させるために、会社を設立しました。1人ではできないことにも仲間と挑んでいきたいんです。
M.S.LABは今、カフェ「KAPE TAYO TOKYO」の経営をスタートさせました。このカフェの収益の一部は、フィリピンの孤児院などに寄付します。そこには、フィリピンへの感謝、クラウドファンディングなどの支援者への感謝、たくさんの感謝が詰まっています。この感謝をカフェ事業を通じて、さらに増やしていくことで社名に込めた“感謝を生み続ける”を実現させたいと思っています。
だから、これからの僕はM.S.LABの仲間と“KAPE TAYO TOKYO”を通じて、フィリピンと日本の架け橋になることが、夢であり、想い描くビジョンです!
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今回は、ソーシャルメディアクリエイターや経営者として活躍するFumiyaさんから想いの詰まったお話を聞くことができました。
「感謝の連鎖を生み続けること」で心の温かい人、温まる瞬間を広げていくことができます。カフェの収益の一部は、Fumiyaさんが直接フィリピンの児童施設などに届けて、その様子を動画で配信する予定だそうです。きっとその動画は、観る人の心も温めることができると思います。
動画や情報を発信することや、社会的弱者への支援すらも戦意として利用されている現代だからこそ、“感謝を生むため”に活動しているFumiyaさんの今後に熱いエールと賛同の手を挙げたいと強く思います。
shabellbaseでは、今後もFumiyaさんに関するお話を聞き、記事の中でご紹介していきます。
あなたの夢探しやライフプランに役立つヒントを見つけてみてください。
- Fumiyaさん
ふみや|ソーシャルメディアクリエイター1995年生まれ。静岡県出身。帝国ホテルに新卒で入社するが、自身のアパレルブランドを立ち上げるという目標を掲げて退職する。その後、フィリピンに語学留学中に家族や周囲への近況報告のために始めたYoutube動画が現地でバズり、フィリピン人向けの動画を配信していくことを決意し、語学学校を退学。Youtuberとして活動する中で、フィリピンの国民的人気番組への出演などを経て俳優・歌手・モデルとしても活動を広げる。2020年にパンデミックの影響により日本へ一時帰国。Newsweek日本版「世界が尊敬する日本人100人」に選出。2022年2月には「2021WORLD CREATER AWARD」を受賞。浜松市の観光大使に就任。現在は、株式会社M.S.LABの代表取締役を務め、恵比寿に開くカフェ「KAPE TAYO TOKYO」の開店準備を進めている。