しゃべりおbaseの大きなテーマでもある「キャリア」。
これまでもたくさんの人のキャリアの奇跡や挑戦を、しゃべりおbaseを通じて発信してきました。
ところで、この「キャリア」に関する悩みや不安を解消するプロフェッショナル職に、キャリアコンサルタントという仕事があるのをご存知でしょうか?
民間資格として普及していたキャリアコンサルタントは、2016年に国家資格として法制化され、2023年3月末時点で資格者数は65,879人とされています。
一方、キャリアについての悩みをキャリアコンサルタントに相談したことがあるという人はそう多くはないのではと感じます。
今回は、ポッドキャストプロデューサーでありながらキャリアコンサルタントの資格をお持ちの今泉将太さんにお話を伺いました。
キャリアコンサルタントという仕事についてだけでなく、どんな人がどのようなきっかけでキャリアコンサルタントの資格を取得し、活躍しているのかを紹介していきたいと思います。
キャリアコンサルタントは人生の伴走役
ーまずはキャリアコンサルタント(以下キャリコン)というお仕事について、教えていただけますか?
今泉将太さん:世の中的には、仕事を紹介してくれる人という認識を持っている人が多いかもしれないのですが、実際はそうではないんです。
キャリアについて、相談できる専門家ということになりますが、ここでいうキャリアは仕事ということに限定しません。
たとえば、転職についての相談に乗っていたら、悩みの根底にあることは結婚したいという人生設計に対する不安や課題が原因だった、ということもあります。
仕事をとっかかりにして、人生全体について相談できる有資格者がキャリコンなんです。
キャリアコンサルタントの資格を取得している人には、企業の人事担当者や人材系の企業に勤めている人ももちろんいますが、本当にいろんな職業の人がいるんです。
例えば、現役のお笑い芸人さんで資格を取得された方や元アイドルでセカンドキャリアとしてキャリコンの資格を取ろうとしている方なんかもいます。
キャリア=人生づくりの土台と考えると、人材やキャリアに関する業界に身を置いていない人がこの資格を持つことが、すごく大事なんじゃないかと私自身は思っています。
何に悩んでいるかわからない人、人生や仕事にモヤモヤを抱えている人ほど、キャリコンに相談してみてもらいたいなと思います。
人生を変えたラジオ番組との出会い
ー今泉さんご自身はどんなキャリアを歩まれてきたんですか?
今泉将太さん:はい。あ、でもその前にまずは、少し遡って話をしてもいいでしょうか。
高校3年生の受験期、周りのみんなと同じように大学進学を目指していたのですが、残念なことに家庭の事情で進学が厳しくなってしまったんですよね。
で、結局卒業後フリーターになったのですが、周りが大学生や専門学校生になっていて、私自身少し取り残されたような気持ちに陥ってしまったんです。
なんだか、何者でも無いようなそんな感じになってしまって。
そんな時、あるラジオ番組に出会ったんです。
その番組の中で、私と同じような悩みを持っている人がたくさん存在していることを知って、ラジオ番組なんですけど自分にとっては1つのコミュニティみたいな感じで、とても居心地がよくて自分の居場所のように感じたんです。
この番組があったことで、生きていけるなと感じられたといっても過言ではありません。
そこからいつかラジオに関われるようになったらいいなと思うようになったんです。
夢に近づくも道が絶たれる
ーなるほど。それが今泉さんにとって原体験となったんですね。では、そこからどんなふうに変わって行ったのでしょう?
今泉将太さん:そこから大学入学を目指すんですが、まずお金がなかったので地元の茨城の国立大学ということで、筑波大学を選び入学することができました。
ただ、実際に就活となるとラジオ局は毎年採用を行っている局は少なく、多くの場合3年に一度ぐらいの頻度でしかチャンスがなくて、なおかつ自分が行きたい局はその年募集してない。
そんなわけで、なかなかモチベーションが上がらなくて、数社しか受けてない就活生としてはダメダメの状態だったと思います。
で、結局ラジオ局は受からずに、あるベンチャー企業から内定を頂けたので、とりあえずはそこに入社するか、という感じでいました。
そんな矢先、また色々ありまして。
実は卒論に、私が影響を受けたあのラジオ番組を題材に選んで取り組んでいたんです。
その過程で当時の番組プロデューサーに直接インタビューできる機会までいただくことができ、そればかりかインタビューで「ここでアルバイトしてみるかい」と言って頂けたんです。
自分の人生を救ってくれたラジオ番組のプロデューサーに直接話が聞けて、一緒にお仕事することができるなんて夢のようで、人生で一番嬉しい日になったんです。
ーすごい!まさに夢のような出来事ですね。そこからどうなったんですか?
今泉将太さん:そうなんです。
その言葉を信じて、内定も辞退して、2月ぐらいだったと思うんですけど卒論を書き上げてそのプロデューサーに持って行ったんですよ。
だけど会ってもらえなくて、連絡しても繋がらなくて、結局そこで働くことはできませんでした。
そこで初めて社会の恐ろしさを知って、また絶望しました。
結局、卒業しても就職先がないのでニートになったんですが、改めて自分で何がやりたいんだろうって考えるとやはり「ラジオ」だったんです。
ただもう大学を卒業してしまったし、ラジオ局に就職するのは難しいだろうなということは分かっていたんですが、なんとか他の方法がないものかと探しました。
そこである人から「放送作家という方法があるよ、なってみたらいいじゃん」と言われたんです。
その場で、放送作家のなり方を調べてみたら、お笑いの養成所の中に放送作家の養成コースがあったのを見つけて、まずは学費を稼ごうという目標を決めました。
放送作家の見習いでリサーチという仕事があって、その仕事をしながらお金を貯め始めました。
夢を実現化する新たな道
ーすごいですね。そこまで辛い経験をしながらも、ラジオ局で働くことを諦めずにいられる熱量が本当に高い。
今泉将太さん:もはや意地になってましたよね。
もちろん他にやりたいことが無かったというのも大きな理由ですが、手に入れられそうなところまで行けたのに、チャンスを奪われてしまった悔しさみたいな感情が大きかったのだと思います。
そこから、順調にリサーチの仕事をしながら養成所にも通い始めて、いよいよ卒業という時にある事務所から作家としてお声がけ頂きました。
ただ結局は、リサーチの仕事でお世話になっていた会社との関係性もあって、そのままそこで働くことになりました。
その事務所は、テレビのお仕事が中心で特にお笑い番組を得意としていたこともあり、3年経った時にやはりラジオに関わりたいということで退職をしました。
その当時、ラジオの業界ではIT化に力を入れはじめていたことを知って、今度はWEB制作を学ぶことにしました。
ーまた新しい挑戦ですね。WEB制作の技術を学んだあとは、順調に進んだのでしょうか?
今泉将太さん:いや、実はとても苦労したんです。
個人事業主で芸能関連という印象のせいか、それまでの仕事が職歴として見なされないことが多く、新卒の時とは異なり何十社も受けることになりました。
3年間自分なりには結構頑張ったつもりの仕事が、経歴として認められなかったのは、実際結構悔しかったです。
そんな中で、20代向けの転職情報サービスの会社に出会い、色んな経歴の人を受け入れる文化のあるその会社にWEB制作職として入社しました。27歳ぐらいで初めての会社員経験がスタートしました。それから1年も経たないうちにラジオ日経でIT関連職の募集があり、すぐに応募したところ運良く受かることができました。
もちろん、当時の職場には恩もありすごく迷ったのですが、最終的には応援してもらってようやくラジオ局で働き始めることになりました。
その配属先が編成の部署だったのですが、面接の時には、作家もできるし、WEB制作もできるんだからゆくゆくは両方やったらとも言ってもらえました。
念願の夢が実現し、また新たな出会いが
ー実際に長年の夢であったラジオ局で働けるようになって、ラジオ番組に携わるようになって、どんな毎日でしたか?
今泉将太さん:それはもう嬉しくて。毎日スタジオの前を通るだけで、ワクワクしましたよね。
そればかりか、その当時の上の人が若手にもどんどんチャンスを与えるというタイプの方で、コンペのような形で企画を提出できる機会をもらえて、私の経験を活かしたお笑いの番組企画と就活関連の番組企画の2つを実現できるようになったんです。
この2つの企画を並行してやっている時期が一番楽しかったかもしれませんね。
ーそこからどんな経緯でキャリコンの資格取得をすることになったのでしょうか?
今泉将太さん:私が企画した就活関連の番組をやっている時に、もうちょっとちゃんとした知識をもって番組制作に当たらないといけないなと思うようになったんです。
でもキャリコンの資格を取ろうと思った時には、資格を活用して活動をしようとまでは思ってませんでした。
習い事の延長線上のような感覚で始めたんですが、学んでみたら、すごく面白くて。
最初は、誰かの役に立つんじゃないかと思って学び始めたのですが、実際には一番は自分のためになったんですねえ。
もちろん専門的な理論などを習得できたこともよかったのですが、自己理解が深まったのが最も有益でした。
キャリコン取得にあたって私は通学コースを選択したんですが、そこに通う人たちは年齢も職種もキャリアもバラバラな人たちで、ロープレやワークにみんなで取り組む過程が部活やサークルのような感覚もあり仲間ができて嬉しかったんです。
そして、いろんな人の考えや経験、価値観に触れることができたのがとても良い学びになりました。
キャリコンの試験に合格してみると、今度は実際にここで得たスキルや知識を活かしてみたいと思うようになったんです。ちなみに、キャリコンの勉強中に自分に向いている職業を発掘するワークがあるんですが、私の場合は「誰かのためになる仕事」だったんですよね。
そこから、ちょっとずつ誰かの相談にのるようなことをし始めました。
キャリアコンサルタントとラジオ番組の共通点は誰かの拠り所となること
ー実際にキャリコンの資格を取得されて、ご自身のキャリア観に変化はありましたか?
今泉将太さん:キャリコンの知識を得たことや資格取得の過程で出会った人たちから、別々の経験でも掛け合わせることが強みになるのかもしれないと気づけたことが大きかったですね。
私の場合、ラジオが自身のキャリアの柱になっていたのですが、そもそもなぜラジオにハマったのか、元を辿るとラジオ番組の中で行われていた、悩み相談だったんですよね。
ラジオというのは、声と言葉のメディアといわれていて、その中で人の悩みを発信したり、相談にのったりするのって、1対多数であるというだけの違いでキャリコンと本質は同じだなと気づいたんです。
ー今泉さんにとって、ラジオの価値は自分の悩みを共有できる場であったことが大きかったんですね。そして、それはキャリコンが提供できる価値とも通じていたと。
今泉将太さん:そうですね。
だから、ラジオの世界を外から見てみようというふうに思って、現在のPodcast制作などを行う会社に転職をしたというのもあります。いずれラジオの仕事にまた戻るつもりはありますが、今はキャリコンとしての経験も積みながら、声で繋がるメディアに携わっています。
私は自分のキャリアのことを”わらしべキャリア”って呼んでいるんですけど、放送作家・WEB制作・キャリコンという風に夢に向かって少しずつ必要なスキルを身につけてきました。
思い続けて、行動し続けたら、自分が目指し続けたものに辿り着けるんだってことが、今ならわかりますが、大学生の時に夢への扉が閉ざされて絶望した時には想像できませんでした。
もしも自分にキャリコンのような伴走役がいたら、あんなに辛い思いはしなかっただろうな。
そう思うから、これからも学び続けて、誰かの伴走役になっていきたいと今は思っています。
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キャリアコンサルタントの資格を取得される人の多くは、さまざまな職業として社会人経験を積んでいるため、学んだ知識を活かして相談に乗ってくれるだけでなく、”キャリアについて悩むこと”について共感をしてくれる良き理解者なのではないでしょうか。
自分ひとりではモヤモヤの本当の原因にはなかなか辿り着けず、正しい解決策を取れないこともあるかもしれません。
現場を打開したいと思っている人、誰に相談すべきかわからない人は、ちょっと勇気を出して友人や家族だけでなく、専門知識を持った相談役を頼ってみることも是非試してみてください。
いまいずみ しょうた|キャリアコンサルタント、ポッドキャストプロデューサー
所有資格:国家資格キャリアコンサルタント